テンジン・デレク・リンポチェのための緊急キャンペーン
バナー(SFTのキャンペーンサイトに飛びます)


 このページは、現在アムネスティ・インターナショナルやSFT(student for support Tibet)などが呼び掛けている問題についての、裏ルンタの覚え書きまとめです。▽このページについての補足▽
 なぜキャンペーンが行われているか、どこでキャンペーンが行われているか、また「何かしたいので、どんな方法があるか知りたい」という人は下記↓のサイトへ行って下さい。今すぐ行って下さい。とても分かりやすくまとまっています。

 上↑のページは、TSNJ(チベット支援団体ネットワーク日本)が緊急行動としてネットワークを通じて呼び掛けているものです。「ルンタ・プロジェクト日本事務局」はTSNJに参加しています。


What's "SAVE TENZIN"?

 今年9月にダラムサラを旅行した時、街中には「Save TENZIN」のステッカーやポスターがあふれていました。英語、チベット語だけでなく、ヘブライ語のステッカーまでありました(日本語はなかった)。Tシャツもありました。背中に大きく僧侶のシルエットをプリントした姿で「グチュスム」の英語クラスの生徒の1人が授業を受けていて、驚いたものです。
 ※一般的にチベットでは、人物のリアルな肖像、しかもリンポチェなど偉い人の肖像はTシャツや絵はがきにはしないそうです。汗やシミで汚れたり、間違って裏面にスタンプを押されたり、食べ物をこぼしたりしてしまうからでしょう。ダライ・ラマ法王の写真はありますが、絵ハガキはまずないようです。なので、かなりデフォルメされてるとはいえ、顔や名前がプリントされたデザインに驚きました。「その人、リンポチェだよね?」と聞いちゃったくらい。そして、それだけ事態はせっぱ詰まっていて、とにかく何かしたいんだ、というチベット人達の意気込みを感じました。Tシャツを着ていたグチュスムの生徒は、カムの出身だといい、すぐに追いかけてきて、私に釈放を訴えるチラシをくれました。他人事ではなかったのでしょう。
 「グチュスムの会」のイシ・トグデンさんは「今年は忙しかった」とヨーロッパで開かれたチベット人権キャンペーンの写真を見せてくれました。昨年末3カ月間と今年3月から5月までの3カ月間、英仏独からノルウェー、デンマーク、スイスなど、ヨーロッパ各地を講演して回ったとのことでした。
 その写真のどれにも、「Save Tenzin」の文字が写っていました。デモや街頭アピールの様子もありました。逮捕直後ではないよな。「健康を害したのか?」と聞くと、「死刑を執行されるまでの猶予期間である2年間がもうすぐなのだ」ということ。
 中国政府はこの年(02年)、テンジン・デレク・リンポチェらに死刑判決を下したり、アバ(アムド)のラルン・ガル・ゴンパを破壊するなど強硬策を取る一方で、ガワン・サンドルなど長期拘留中の有名政治囚を何人も釈放し、治療名目での海外渡航も認めたりしていました。逮捕当時、まさか死刑にはしないだろう、と考えたことを思い出します。
 ……日本ではそんなに話題になっていないぞ?
 まずいんじゃないかやっぱり、などと考えつつ帰国してきたのでした。


 日本の新聞記事

[NEWS 25時]中国 チベット族2人に死刑 (2002年12月9日毎日新聞朝刊)
 6日付の中国各紙によると、中国四川省甘孜州中級人民法院(地裁)は2日、チベット独立を訴えて爆発事件を起こし、国家分裂扇動罪などに問われた四川省居住のチベット族2人にそれぞれ死刑(うち1人は執行猶予)を言い渡した。2人は今年4月3日、同省成都市の広場近くで爆発物を爆発させ、別の2カ所でも爆発事件を起こした。一連の爆発で1人が死亡、1人が重傷を負っていた。【中国総局】

 以下は、「事件」が起きた当時に流れたニュースを掘り返してきたもの。ソースがなくなっているものもありますが、ダラムサラのTCHRD(チベット人権センター)からのニュースリリースが中心。日本の一般メディアが報じたかどうかは確認中。それも含め、もう少し読みやすく手を加えたいのですが、ぜんぜん余裕がないのでとりあえずこの状態で。申し訳ありません。

CHINA ARRESTS ANOTHER SPIRITUAL MASTER IN TIBET
(2002/04/18 01:33)
1. CHINA ARRESTS ANOTHER SPIRITUAL MASTER IN TIBET (OTNY)
FOR IMMEDIATE RELEASE April 16, 2002
Contact: Annie Warner
(212) 213-5010 x14 Tenzin Choephel x13

KHAM, EASTERN TIBET--On April 7, 2002, Chinese authorities arrested Venerable Tenzin Delek Rinpoche, a highly-revered Tibetan spiritual teacher, and four of his attendants, after accusing the five men of masterminding recent bomb blasts in Chengdu and Beijing.
"Venerable Tenzin Delek Rinpoche has been involved in bringing spiritual renaissance to Tibet for a number of years. The arrest of such a highly-revered spiritual teacher will only serve to alienate the Tibetan people further," said Professor Samdhong Rinpoche, Chairman of the Cabinet of the Tibetan Government-in-Exile.
Fifty-year-old Tenzin Delek Rinpoche has established nine monasteries, a home for the elderly, and a school in Eastern Tibet, each of which provides free food, shelter, and schooling for underprivileged Tibetans.
Chinese authorities have reportedly attempted to arrest Tenzin Delek Rinpoche on two previous occasions, accusing him of "hosting the flag of lamaism and religion" and "building monasteries without permission from the government." Sources in Tibet maintain that the most recent charges against Tenzin Delek Rinpoche are fabricated, implying that his arrest is a result of his steadfast loyalty to the Dalai Lama.
Tenzin Delek Rinpoche's arrest comes just weeks after the Chinese Government's very public release of prisoners Ngawang Choephel and Tanak Jigme Sangpo before the world, and in particular, before the United Nations Rights Commission in Geneva. However, the arrest of Tenzin Delek Rinpoche shows that despite such token gestures, the Chinese Government continues to arrest Tibetan religious figures and crack down heavily on religious freedoms throughout Tibet.
The four people arrested with Tenzin Delek Rinpoche are Lama Tamdin Tsering, Lama Tsultrim Dargay, Lama Ashey Dargay, and Dhondup.


 2002年4月、テンジン・デレク・リンポチェ(Tenzin Delek Rinpoche)とロプサン・トゥンドゥプ(Lobsang Dhondup)が拘束され、四川省で起きた一連の爆破事件に関与したと見なされた。「一連の爆破事件をたくらんだ罪」と「祖国分裂主義者を扇動した罪」で有罪の判決が下され、死刑が宣告されたうえ、2人は2002年12月まで外部への連絡を絶たれたまま拘束された。2003年1月26日に、四川の州のコートはTenzin Delek Rinpocheの訴えを拒絶しました。Dhondupが元あったLobsangは同じ日を実行しました。Tenzin Delek Rinpocheは、Tuandong刑務所、四川で現在保持されています。

この場合を囲む状況は、Tenzin Delek Rinpocheの遂行が政治上動機づけられることを示します。彼は東チベットでコミュニティーの高齢者のために僧院、学校および家を構築しました。共産党の外の彼のリーダーシップは彼に政治的な目標を作りました。現在まで、中国の政府当局は、Tenzin Delek Rinpocheの爆発への関与を示す確実な証拠を提示しませんでした。また、検察当局は、適法手続きの最低基準を満たしませんでした。1月18日に、Tenzin Delek Rinpocheによって作られた密輸入されたテープは、「当局が何を行い言っても、私は無罪です」と主張しました。


緊急リリース


中国、2人のチベット人に死刑判決

2002年12月5日(ダラムサラ)

TCHRD(チベット人権民主センター)は、トゥルク・テンジン・デレクとロプサン・トントゥプが、即決裁判で決められた死刑に直面している情報を受け取った。2002年12月3日付けの「四川人民日報」で確認されたチベットの情報ソースによると、ロプサン・トントゥプは即決裁判で政治的権利剥奪され死刑を言い渡された。
 トゥルク・テンジン・デレクは2年の執行猶予付き死刑判決を下された。中国の刑法では、求刑後10日間以内に控訴する権利があるが、控訴はほとんど無いも同然である。
 TCHRDの情報によると、2002年12月2日、裁判は四川省カンゼ・チベット族自治州中等人民裁判所で行われた。二人は、今年4月3日、成都の市の中心にある広場で起きた爆破事件に加担した容疑で逮捕されていた。「武器の不法所持」と「分裂活動に加担」したと決められ逮捕された人たちが他にもいた。
 またその情報によると、トゥルク・テンジン・デレクは、虚偽の陳述、不法取引、そして「ダライ・ラマ法王万歳」と叫んだ罪にも問われているとのことである。裁判の時、中国の公安当局職員らはすぐに法廷に突入し、トゥルク・テンジン・デレクに猿轡をし、法廷の中にある小部屋に引きずり込んだらしい。
 「チベット自治区」のカンゼのリタン県で高僧として高く尊敬を集めていたトゥルク・テンジン・デレクは、2002年4月7日の夜、ロプサン・トントゥプや他三名の随行の者たちと共に拘留となった。そしてトゥルク・テンジン・デレクは、裁判後8ヵ月も、全く外部との連絡を絶たれてしまった。
 これで、宗教的指導者たちのその地方における影響力のために、彼らが近年、弾圧の一番のターゲットにされていると全般的に思われている。(当局は)チベットの宗教的指導者たちを脅威として見て、ゲシェ・ソナム・フンツォクやケンポ・ジグメ・フンツォクなどを含む民衆に尊敬されている高僧たちを逮捕する事件が続発した。
 9月11日に起きたテロ事件以来、中国政府は、様々の政治的活動をテロという汚名を着せて取り締まり政策を展開している。2001年12月、中国は刑法を「テロの組織やテロを起こした者に対し、3年から10年の刑を処罰する」と改正した(中国の刑法120)。中国は「テロ組織」をはっきりと定義しておらず、非暴力主義の政治的活動なども含まれ、あいまいに多方面にこの改正法を使っている。
 TCHRDはロプサン・トントゥプとトゥルク・テンジン・デレクの身の安否を非常に懸念し、こうした中国の司法の域を越える行為、即決裁判、独断による死刑判決に対して、特別調査官による緊急な介入を各国政府や国際社会に強く要求する。


関連ニュース

トゥルク・テンジン・デレク
ダルツェンド(康定)で拘置


8月3日TCHRDニュース 

 チベットから寄せられた信頼できる情報によると、トゥルク・テンジン・デレク(写真)は現在、四川省カンゼ(甘孜)州のチベット族自治州ダルツェンド(康定)で拘束されているという。報告によると、トゥルク・ テンジン・デレクは四川省公安当局拘置所に収容されているが、拘置所で目撃したという人はいないものの、役人を通して食料やその他の必需品を送ることが許されているらしい。トゥルク・テンジン・デレクの逮捕からほぼ四カ月が経過したが、公判は行われていない。
 トゥルク・テンジン・デレクは、リタン(理塘)県で人々の尊敬を集めている有名なラマである。彼は今年の4月3日に成都の大広場で起こった爆破事件に関与した疑いで、その4日後の夜、4人の付き人と共に四川省 公安当局により逮捕された。爆発の首謀者は体制に不満を抱く中国人労働者や法輪功の信者によるもの との噂があるものの、5人には爆発計画の嫌疑がかかっている。報告によると、トゥルクと共に逮捕された4人の付き人ツゥルティム・タギャル、タムディン・ツェリン、アシェ・タギャルそしてトゥンドゥプ(平信徒)もまた同じ拘置所の別々の独房に収容されている。トゥルク・テンジン・デレクの生徒であるタムチョ・ニマとオトック僧院の厳格な僧タシ・フンツォクは、トゥルク捜索のために逮捕されたが、現在は釈放されている。
 トゥルク・テンジン・デレクが裁判要請を自筆で提出したことをダルツェンド(康定)の役人が地域の住民に話し、今回の拘留が明らかになった。問題となっている署名の複写は裁判所にまだ届いておらず、近隣で止まったままになっている。役人らは、裁判を開くためには1千万円以上という桁外れの金額が必要と要求している。訴訟の機会をトゥルク・テンジン・デレクに与えず、裁判を受けさせないためにこのような法外な金額を要求していることは明らかであり、中国の法制度に蔓延している政治腐敗と贈収賄を明確に示している。役人たちは裁判に関する地方住民からの質問に答えていない。地方住民の一人はこう嘆く。
 「裁判に必要な金額を集めようと努力したとしても、トゥルク・テンジン・デレクの悲運を変えることはできないかもしれない。資金とトゥルクの両方を失うことになるのではないだろうか」
 しかし、あるチベット人は裁判施行のための資金を集める基金を創設し、リタン(理塘)県やその近隣に住むチベット人らから資金を調達してもらうチームを作った。彼らの努力によって目標金額の約半額の資金が集まった時、公安当局が干渉に入り、基金チームのメンバーのツェリン・トゥンドゥプ、ツルティム・タギャル、ディメ・ギャツォらチベット人3名を逮捕した。ツェリン・トゥンドゥプは未だ拘置されたままであるが、残る2名は1週間後に釈放された。

 地域のチベット人らは、トゥルク・テンジン・デレクが爆破事件の犯人にでっちあげられたと信じている。トゥルク・テンジン・デレクは、チベット文化やチベット 宗教に対して強い支持を示し、地域のチベット人社会から政治的に尊敬される立場にあり、リタン(理塘)県の学校開設、老人ホーム設立、そして地域紛争の解決などを含む地域福祉活動に従事していたために、当局から厳格な監視を受けていた。
 トゥルク・テンジン・デレクは、1950年にリタン(理塘)県に生まれ、7歳の時にリタン僧院に入り、高僧ケンスル・シャクパに師事した。トゥルク・テンジン・デレクは1979年、晩年のパンチェン・ラマの講義を 密かに傍聴し、中国政府のチベット人に対する無差別な残虐行為についての彼自身の見解を発表した。また、特にリタン(理塘)県での破壊されたチベット僧院修復の必要性を強調した。1979年の亡命チベット人代表団による第一回目の調査実施中には、トゥルク・ テンジン・デレクは代表団の一人に中国政府のチベットでの僧院破壊について詳しく説明した。1982年代初めには、ダライ・ラマの法話に参加するためダラムサラに赴き、さらに南インドのデプン・タシ・ゴマン僧院に六年間滞在した。1983年、ダライ・ラマは彼をゲシェ・アダム・プンチョクの転生者と認め、テンジン・デレクと命名した。

 1987年、トゥルク・テンジン・デレクはインドから帰国。政治活動疑惑及びダライ・ラマとの関係について継続的に監視を受けることとなる。厳しい監視は今年の4月7日に逮捕されるまで及んだものの、それまでずっとトゥルク・テンジン・デレクはリタン(理塘)県の福祉活動に大変意欲的に取り組んでいた。■

緊急リリース


中国、2人のチベット人に死刑判決

2002年12月5日(ダラムサラ)

TCHRD(チベット人権民主センター)は、トゥルク・テンジン・デレクとロプサン・トントゥプが、即決裁判で決められた死刑に直面している情報を受け取った。2002年12月3日付けの「四川人民日報」で確認されたチベットの情報ソースによると、ロプサン・トントゥプは即決裁判で政治的権利剥奪され死刑を言い渡された。
 トゥルク・テンジン・デレクは2年の執行猶予付き死刑判決を下された。中国の刑法では、求刑後10日間以内に控訴する権利があるが、控訴はほとんど無いも同然である。
 TCHRDの情報によると、2002年12月2日、裁判は四川省カンゼ・チベット族自治州中等人民裁判所で行われた。二人は、今年4月3日、成都の市の中心にある広場で起きた爆破事件に加担した容疑で逮捕されていた。「武器の不法所持」と「分裂活動に加担」したと決められ逮捕された人たちが他にもいた。
 またその情報によると、トゥルク・テンジン・デレクは、虚偽の陳述、不法取引、そして「ダライ・ラマ法王万歳」と叫んだ罪にも問われているとのことである。裁判の時、中国の公安当局職員らはすぐに法廷に突入し、トゥルク・テンジン・デレクに猿轡をし、法廷の中にある小部屋に引きずり込んだらしい。
 「チベット自治区」のカンゼのリタン県で高僧として高く尊敬を集めていたトゥルク・テンジン・デレクは、2002年4月7日の夜、ロプサン・トントゥプや他三名の随行の者たちと共に拘留となった。そしてトゥルク・テンジン・デレクは、裁判後8ヵ月も、全く外部との連絡を絶たれてしまった。
 これで、宗教的指導者たちのその地方における影響力のために、彼らが近年、弾圧の一番のターゲットにされていると全般的に思われている。(当局は)チベットの宗教的指導者たちを脅威として見て、ゲシェ・ソナム・フンツォクやケンポ・ジグメ・フンツォクなどを含む民衆に尊敬されている高僧たちを逮捕する事件が続発した。
 9月11日に起きたテロ事件以来、中国政府は、様々の政治的活動をテロという汚名を着せて取り締まり政策を展開している。2001年12月、中国は刑法を「テロの組織やテロを起こした者に対し、3年から10年の刑を処罰する」と改正した(中国の刑法120)。中国は「テロ組織」をはっきりと定義しておらず、非暴力主義の政治的活動なども含まれ、あいまいに多方面にこの改正法を使っている。
 TCHRDはロプサン・トントゥプとトゥルク・テンジン・デレクの身の安否を非常に懸念し、こうした中国の司法の域を越える行為、即決裁判、独断による死刑判決に対して、特別調査官による緊急な介入を各国政府や国際社会に強く要求する。


関連ニュース

トゥルク・テンジン・デレク
ダルツェンド(康定)で拘置


8月3日TCHRDニュース 

 チベットから寄せられた信頼できる情報によると、トゥルク・テンジン・デレク(写真)は現在、四川省カンゼ(甘孜)州のチベット族自治州ダルツェンド(康定)で拘束されているという。報告によると、トゥルク・ テンジン・デレクは四川省公安当局拘置所に収容されているが、拘置所で目撃したという人はいないものの、役人を通して食料やその他の必需品を送ることが許されているらしい。トゥルク・テンジン・デレクの逮捕からほぼ四カ月が経過したが、公判は行われていない。
 トゥルク・テンジン・デレクは、リタン(理塘)県で人々の尊敬を集めている有名なラマである。彼は今年の4月3日に成都の大広場で起こった爆破事件に関与した疑いで、その4日後の夜、4人の付き人と共に四川省 公安当局により逮捕された。爆発の首謀者は体制に不満を抱く中国人労働者や法輪功の信者によるもの との噂があるものの、5人には爆発計画の嫌疑がかかっている。報告によると、トゥルクと共に逮捕された4人の付き人ツゥルティム・タギャル、タムディン・ツェリン、アシェ・タギャルそしてトゥンドゥプ(平信徒)もまた同じ拘置所の別々の独房に収容されている。トゥルク・テンジン・デレクの生徒であるタムチョ・ニマとオトック僧院の厳格な僧タシ・フンツォクは、トゥルク捜索のために逮捕されたが、現在は釈放されている。
 トゥルク・テンジン・デレクが裁判要請を自筆で提出したことをダルツェンド(康定)の役人が地域の住民に話し、今回の拘留が明らかになった。問題となっている署名の複写は裁判所にまだ届いておらず、近隣で止まったままになっている。役人らは、裁判を開くためには1千万円以上という桁外れの金額が必要と要求している。訴訟の機会をトゥルク・テンジン・デレクに与えず、裁判を受けさせないためにこのような法外な金額を要求していることは明らかであり、中国の法制度に蔓延している政治腐敗と贈収賄を明確に示している。役人たちは裁判に関する地方住民からの質問に答えていない。地方住民の一人はこう嘆く。
 「裁判に必要な金額を集めようと努力したとしても、トゥルク・テンジン・デレクの悲運を変えることはできないかもしれない。資金とトゥルクの両方を失うことになるのではないだろうか」
 しかし、あるチベット人は裁判施行のための資金を集める基金を創設し、リタン(理塘)県やその近隣に住むチベット人らから資金を調達してもらうチームを作った。彼らの努力によって目標金額の約半額の資金が集まった時、公安当局が干渉に入り、基金チームのメンバーのツェリン・トゥンドゥプ、ツルティム・タギャル、ディメ・ギャツォらチベット人3名を逮捕した。ツェリン・トゥンドゥプは未だ拘置されたままであるが、残る2名は1週間後に釈放された。

 地域のチベット人らは、トゥルク・テンジン・デレクが爆破事件の犯人にでっちあげられたと信じている。トゥルク・テンジン・デレクは、チベット文化やチベット 宗教に対して強い支持を示し、地域のチベット人社会から政治的に尊敬される立場にあり、リタン(理塘)県の学校開設、老人ホーム設立、そして地域紛争の解決などを含む地域福祉活動に従事していたために、当局から厳格な監視を受けていた。
 トゥルク・テンジン・デレクは、1950年にリタン(理塘)県に生まれ、7歳の時にリタン僧院に入り、高僧ケンスル・シャクパに師事した。トゥルク・テンジン・デレクは1979年、晩年のパンチェン・ラマの講義を 密かに傍聴し、中国政府のチベット人に対する無差別な残虐行為についての彼自身の見解を発表した。また、特にリタン(理塘)県での破壊されたチベット僧院修復の必要性を強調した。1979年の亡命チベット人代表団による第一回目の調査実施中には、トゥルク・ テンジン・デレクは代表団の一人に中国政府のチベットでの僧院破壊について詳しく説明した。1982年代初めには、ダライ・ラマの法話に参加するためダラムサラに赴き、さらに南インドのデプン・タシ・ゴマン僧院に六年間滞在した。1983年、ダライ・ラマは彼をゲシェ・アダム・プンチョクの転生者と認め、テンジン・デレクと命名した。

 1987年、トゥルク・テンジン・デレクはインドから帰国。政治活動疑惑及びダライ・ラマとの関係について継続的に監視を受けることとなる。厳しい監視は今年の4月7日に逮捕されるまで及んだものの、それまでずっとトゥルク・テンジン・デレクはリタン(理塘)県の福祉活動に大変意欲的に取り組んでいた。■

International Tibet Support NetworkTenzin Delek Rinpoche Campaign

このページは、現在アムネスティ・インターナショナルやSFT(student for support Tibet)などが呼び掛けている問題についての、うらるんた個人の覚え書きと経緯まとめです。Webでまとめようと思った時は、まだ日本語のキャンペーンサイトが未完成だったので、せめて英文のキャンペーン内容を日本語で書いておくだけでもやる価値があるかな、と思ったのですが、完成させられずにいる間に、非常にまとまった日本語サイトが立ち上がり、このページ自体の意味はほとんどなくなりました。すいません。

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