ひろしま証言会レポート Ani Ngawang Wangdon la
in HIROSHIMA
 広島証言会(2002.11.17)

車窓から海を見るガワンさん  17日朝は、ガワンさんたちが新大阪から乗車予定の新幹線ひかり113号に、滋賀からのルンタメンバー2人が先回りして京都から乗り込みました。ガワンさん、通訳・Tさんと車内で合流。
 昨日大阪での講演を終え、早朝出発の強行軍ですが、思ったより元気そうでひと安心。広島駅につくと、イエティ西田さんとHさん、通訳を務める中原一博さん(ダラムサラ在住のルンタ・プロジェクト代表)が、ホームでチベット国旗を広げて待っていてくれました。

 なによりも気になっていたのは親知らずが痛みだし、長野で応急処置を受けたというガワンさんの様子。疲れているようなら証言会までの半日、ホテルで休んでもらおうと思っていたのですが、痛み止めを飲んで「まあ大丈夫」ということでしたので、駅から直結するホテルの地下でお好み焼きを食べ、ホテルに荷物を置いて、平和記念公園と原爆資料館を見学しました。

 原爆資料館・平和記念公園見学

 1時間半ほどかけて館内を見学。館内にはいるとすぐのフロアには、日本人(とくに地元の?)に向けた、江戸時代からさかのぼった広島の歴史が紹介されてます。勉強熱心なガワンさんは、真面目にひとつひとつ読もうとするのですが、ここからそんなに集中したら身体がもちません。申し訳ないけどなかばせかすように、第二次大戦についての展示に進んでもらいました。

 (→)原爆投下前の広島と、投下後の広島を再現した俯瞰ジオラマを見るガワンさん。

 (←)説明を聞きながら、だんだん口数が少なくなるガワンさん。

 英語も勉強しているので、英文の説明文を自分で読もうとするのですが、展示方法がデザイン重視で、日本語に比べて英語の文字が小さく、英語を母語としない彼女が読むにはわかりにくかったようでした。 

 小学生になってから原爆症を発症、千羽鶴を折って快復を祈り続けて亡くなった「さだ子ちゃんの千羽鶴」の実物も展示されていました。(→)

 ガワンさんが交通事故に遭って療養中、「千羽鶴を送ろう」と呼び掛けてくれた方がいて、お見舞いにたくさんの折り鶴をいただきました。00年8月に彼女を訪ねたとき、ガワンさんのこぢんまりとした僧坊いっぱいに鶴が飾られていて、「きれいです」と喜んでいたのを思い出します。
 日本の人たちの「鶴をたくさん折って願掛けする」っていう習慣(?)や気持ちが、なんとなくでも伝わってくれたらいいな、と思います。

 うらるんたは個人的に今回、展示を見て、「さだ子」ちゃんがMy母親と同い年生まれであることを初めて知って驚いた次第。子どものころ絵本で読んだ時は、「30年前に戦争があって…」と言われても現実味なんて感じられず、「悲しい童話」とか「むかしばなし」という感覚で「小さいのに病気になってかわいそう」って感想だったんですが、このトシになると、発病した子どもに「私治る?」と聞かれて「鶴をたくさん折ったらきっと治るよ」と嘘をつかなければいけなかった母親の存在を考えてしまいます。
 さだ子ちゃんのお母さんは今どうしているんでしょう。娘が世界的に有名になったり“平和の象徴”になったりすることなんかよりも、命が助かって生きてさえいてくれたら、というのが本音なのではないか、とふと思ってしまいました。

 証言会

 午後5時になり、京都から遅い便で駆けつけた新婚K嬢、販売の助っ人をお願いしたKさんご夫妻、アムネスティ・グッズの担当と挨拶をしていただくアムネスティひろしまグループのNさんご夫妻と合流。
 「大型ポスターをどこかに貼ろうよ」
 「廊下はだめなんだって」
 「じゃ、廊下で受付するのもダメなの?」
 「ダメだそうです」
 「うーん、それじゃ部屋が狭くなるから机を3つ片付けちゃおうか、どうせそんないっぱいには来ないだろうし」
 ――そう、それは大きな誤算だったのでした…。

 広島に先立つ名古屋、大阪の入場者数がそれぞれ約50人、約60人という話を聞いて、72人収容の大会議室を準備していたこちらとしては、まあ十分な広さと思っておりました。(それどころか、県外の私に代わって会場費を払い込んでくれた広島在住の知人は「あんな広い部屋で大丈夫なんですか?」と心配して電話をくれたくらいです ^^;)
 まだ段ボール箱も片付けきらず、ガムテープやのり、はさみがあちこちに散乱する会場に、「あの…ここですか?」と人影が。はッと時計を開始20分前でこの熱気!!見ると5時20分すぎ。開場は5時半の予定だったけど、まだ心構えも何もできてない!

 「受付、受付!」
 「資料代のおつりにするから釣り銭用の小銭を半分貸して」
 「え、こっちでは現金は預かってないよ」
 「誰がつり銭を持ってるの!?」(←藤田が持ってました)
 「受付のお金はどこに入れますか? これ入れていい?」
 「それはカンパ箱だからダメ!」

 準備が一段落したら部屋でチベット服に着替えようと思っていたのですが、廊下を見たら、れ、列ができてる!
 「私、着替えを……いや、ここを離れないほうがいいですね」
 「ですね」
販売コーナー。この後、スペース不足により売り子さんの居場所がなくなってしまいました。 かくしてジーンズにセーターという作業着みたいな格好で司会進行をしてしまいました。(通訳の中原さんはスーツ姿でびっとキメているのに情けない~~~ (T^T))

 「イスが足りない!」
 「追加で増やせないの!?」
 「スペースがもうないからダメだって」
 「いや、全体的に前にずれてもらえば後ろが空く!」
 (ちなみにこの措置により、ガワンさん座った机と一番前の列の机はほとんどくっつかんばかりに接近し、一列目中央の方は ガワンさんとお見合いするのかってほど近づいてしまいました(^^;))

会場風景 予想を超える数の来場者、という予期せぬ事態に慌てふためいたのちなかば呆然としていた私ですが、いま振り返っても自分が何をしていたかの記憶がほとんどありません。(とほほ…)
 冷房を切っても部屋が暑く、暑いんだか冷たいんだかわからない汗があちこちから流れていた記憶だけがあります。
 1週間で編集したとは思えないほど、意外に出来の良かった「グチュスム」紹介ビデオ、ガワンさんの話、中原さんのとつとつとした通訳、質問ペーパーが思いがけず集まったこと、
なんか途切れ途切れにしか思い出せないんですが…(^^;

 ガワンさん(右)と通訳の中原さん(左)15分遅れで始まったものの、なんとか10分遅れの閉会に収めました。終わった後になって、「あっ広島文化センターの態度が変わった報告をするんだった!(※後述)」「配布資料の説明を忘れてた!」その他、次から次へと不手際が思い出されたのですが、まあすんでしまったことは仕方ありません。報告は、Webでさせていただくことにします。(それで許されるかな~ ^^;)
 なんとか無事に終わったのはひとえにお手伝いいただいた皆様のおかげ、またいろんな不手際に耐えてくださった来場者の方々のご協力のおかげです。
 本当にありがとうございました。

(※)広島では、2年前に続き、「平和文化センター」でチラシの配布を断られるという狭量な対応を受け、残念に思っていたのですが、それがなぜか(笑)1日半前の15日(金)夜になって「置いてもいいです」という連絡が入るなど、細かいアクシデントがあったのでした。細かい経緯はまた書き足します。

証言を終えた中原氏とガワンさん また、会場の「アステールプラザ」の方々には、ほんとうに親切にしていただきました。
 会場予約の電話をしたときから、公的機関にしてはお役所的な対応がなくて感じのいいところだなあ、という印象を受けていたのですけど、17日の証言会後に夕食会をしたレストラン「洋食工房」では閉店時間を特別に延長して10時近くまで個室を使わせてくださいましたし、フロントの方も、部屋から「ホテルから近いレストランは」と電話で尋ねただけで、「チベットの方ですよね。○○○○は近くですが魚介類の料理が多いですよ」などと親身になってくれ、チェックアウトする時にも「イベントうまくいかれましたか?」とにこやかに見送ってくださいました。

 えー、「後であのお礼をいわなくちゃ」「このお礼も言わなくては」と思いながら滋賀に戻ってきたのですが、翌日から溜まった仕事に追われてわけがわからなくなりまして、経費の精算もまだほったらかしです。収支報告は後で改めて追記するということでご容赦ください。
 ☆あ、とりあえずこれだけは。医療費カンパ箱に、5万円ものカンパをいただきました! ありがとうございました!! (医療費カンパは振り込みも続々いただいておりまして、こちらもまとめてページを作らねば……ああ、やることが山積。余力がなくて本当にごめんなさい)

 夕食&懇親会
ガワンさん(左)とアジズさん(右)
 会場のアステールプラザ近くにレストランがなく、夜の証言会で時間も遅かったため、夕食はアステールプラザ内のレストランを利用しました。移動距離も少なくてすみ、結果的に正解だったと思います(とはいえ、オーダーストップを過ぎてからの入店になってしまい、参加人数に料理が足りなかったなど、不手際はたくさんありました。本当に申し訳ありませんでした)。
 証言会には、戦乱のアフガニスタンを逃れて日本政府に難民認定申請していたにもかかわらず、入国管理局に「不法滞在」として身柄を拘束され、犯罪者のように扱われて心身を傷つけられた後、数週間前に釈放されたばかりのハザラ人、アジズさんが訪れてくださいました。拘束を解かれたとはいえ、難民認定はまだされず、体調もすぐれないままで、いつどういう処分が下るか不安が続く日々とのこと。
 「インドでチベット難民はどういう扱いを受けているのか」「難民に対しインド政府はどんな保護をしているのか」などと質問され、最後に「インドはいいなあ…」とため息をついていたのが印象的でした。
 ……確かに、難民受け入れに対して鎖国とも言える日本です。いや、門戸を閉じているのは「難民」に対してだけでなく、外国人一般、異なる文化的バックグラウンドを持つ人々全般といえるかもしれません。

 証言会の最後に、アムネスティひろしまグループからアジズさんの紹介があり、「難民」という問題をまたべつの視点から――どこかよその遠くの人たちを助けるのではなく、私たちが「受け入れる」側でもあるのだ、ということ――考えさせられた証言会でした。
 お忙しい中、また体調も万全でないなか、来てくださってほんとうにありがとうございました。

 Coming Soon

 休養日となっていた翌18日は、宮島へ出かけました。
 宮島の仏教寺院で、チベット人僧侶2人が南インドのデプン寺院から招かれて、砂曼荼羅を製作中なのです(24日まで)。で、その寺院を訪ねたのでした。詳細はなるべく早く追加します。
 (←写真は、鹿に襲われるガワンさん)


お疲れさまでした。


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