ンガワン・ワンドゥン嬢(ももはらさん撮影)・事故に遭う1週間くらい前の写真です……(涙) ンガワン・ワンドゥンさん
の近況
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 ダラムサラ滞在2日目、ダラムサラ郊外にあるドルマリン尼僧院を訪ねました。目的は、交通事故に遭って治療中のンガワン・ワンドゥンさんのお見舞いです。

自室にて
自室のベッドの上で。簡素な部屋の中には、回復を祈って日本から贈られた千羽鶴が飾られていました。まだ長時間立って過ごすことはできず、ここで寝たり起きたりの生活をしている、と話していました。

 ワンドゥンさんは23歳。ラサ市内にあるミチュンリ尼僧院で修行していた1992年、15歳の時に、ラザ市内でたった6人のデモを行い逮捕され、未成年だったにもかかわらず3年間の懲役刑を受けた女性です。一緒に逮捕された、仲の良かった尼僧は、拷問を受けたショックで心身を病み、亡くなりました。「生き残った私がチベットで何が起きているかを伝えなくては」と決意したのだそうです。
(→ンガワン・ワンドゥンさんの証言はこちら

 今回の証言会の企画も、もとはといえば、アムネスティ日本支部の会員のひとりであるももはらさんがダラムサラに来て彼女に出逢ったことが発端とも言えます。
 「チベットの現実をもっとたくさんの人に知って欲しい。それが亡くなった彼女の願いだったのに、自分には何の力もない」というワンドゥンさんの訴えを聞いて、ももはらさんは「外側の人間として彼女の真摯な熱意に応えなくては」と感じ、拷問廃絶を訴えるアムネスティの年間キャンペーンにぴったりだと彼女たちチベット人の問題を推薦したのです。
 「日本に来てもらい、これまでの経験を話して欲しい。そして、チベットに関心を持っている人が日本にもいることを知ってほしい」と伝えると、ワンドゥンさんは「ぜひ役に立ちたい」と快諾してくれ、英会話の勉強を始める(ドルマリン尼僧院に日本語の先生はいないので)など、日本に行くことをとても楽しみにしてくれていました。

 ところが、不運なことに、今年3月、パスポート(正確には難民ID)取得のための書類を持ってダラムサラに行った帰りに、彼女の乗ったタクシーがバイクを避けようとして立ち木に激突、ワンドゥンさんは一時意識不明となる大けがを負ってしまったのでした。
詳しくはこちらのページをごらんください

 私たちがダラムサラに出発する少し前、ワンドゥンさんのけがは重篤で、1ヶ月の日本ツアーに耐えられるほど体力が戻ってはいないこと、また、これから難民IDを申請してもビザの取得が間に合わないとみられることから、残念ながら、今回の来日候補者からは彼女の名前が外れることに決まりました。ほんとうなら、日本で歓迎するための打ち合わせをしに行く予定のお見舞いは、残念だけどはやく元気になってね、と励まし、カンパの治療費を渡すためのツアーに変わってしまったのでした。(残念……。)

ワンドゥンさん

 ワンドゥンさんは、首に大きなコルセットをつけていて、まだ首を左右に回すことはできないながら、起きあがってゆっくり歩いたり話したりはできるほどに回復していました。ちょうど、私たちがお見舞いに行く3日前に病院に行って診察を受け、胸までを固定していたがっちりしたギプスを外して首だけを固定するものに変わったばかりだったそうです。「かなり軽くなりました」と喜んでいました。
 でも、今でも左半身全体がしびれるような感じがして、ひどい頭痛もするそうです。「神経がちゃんとしていないという自覚がある」と言い、私たちと話している間も、しきりに左腕や左肩を押さえていました。

ワンドゥンさん

 最初、寝たきりで動けなかったころは、2人の尼さんにお願いして、24時間交代でつきっきりで看護してもらっていましたが、現在は介護人はいないそうです。食堂に食事を取りに行ったり、服を着替えたりする必要がある時には、その時その時に、周囲にいる尼さんたちに助けてもらっているということでした。
 「ドルマリン尼僧院は規則が厳しいところで、例えば、食事でも、食事の時間を知らせるチャイムが鳴ったら5分以内に食器を持って取りに行かなければいけない規則があるんです。それで、私の分を取りに行ってもらうと、その人はそれだけ自分の食事を取るのが遅れてしまうので、迷惑がかけるのが申し訳ない」と話していました。

 まだ、首や左半身の痛みのためにずっと同じ姿勢で座っていることもできないし、ひどい頭痛がして、細かい字を読んだり集中することができない状態だそうです。「事故以降は、読経も修行もまったくできない状態です」と、ちょっと悲しそうでした。
 ドルマリン尼僧院はチベット仏教のゲルク派のお寺で、そのなかでも問答(ディベート)に力を入れて厳しくしごかれるお寺だそうです。尼僧たちは、段階別にクラスがあり、試験を受けてさらに次の修行に進むことが出来ます。
 「授業に出られず、勉強が遅れているのが一番つらいです」と、けがが治っても修行に戻ることができるのかどうか不安そうでした。

ワンドゥンさん

 こちらからの質問が一段落したとき、ワンドゥンさんから私たちに「今日来てくださったなかで、チベットに行かれた方はいますか?」と質問がありました。
 お見舞いにうかがったメンバー6人(通訳の現地スタッフ除く)のうち、私を含めて4人が「ラサへ行ったことがある」と手を挙げました。(3分の2!)
 「いつ行きましたか? 街はどんな様子でしたか? チベットにどんな印象を持ちましたか?」とワンドゥンさん。
 昨年(99年)夏に、ラダックのアムチ(チベット伝統医療のお医者さん)と一緒にラサを訪ねたNGO「ヒマラヤ保全協会」のスタッフKさんが、ラサのメンツィーカン(チベット医院)の立派な様子や、高層ビルが建ち並ぶ街並み、電化製品などが揃った百貨商店、漢民族がとても多かったことなどを話すと、熱心に相づちを打って聞いていました。

 「(亡命した)4年前とはだいぶ違っているのでしょうね」。ワンドゥンさんは遠くを見るような表情でうなずいていました。
 政治囚だった経歴を持つワンドゥンさんは、戻ったら再び“反動分離主義者”“国家騒乱犯”として逮捕されてしまいます。連絡をとったことがわかると、その人も政治犯とつながりがあるとみられて危険なため、チベットの家族や友人に手紙を送ったり電話をかけることさえ出来ません。
 チベットが自由になり法王がポタラ宮に戻るまで――現実的にはいつになるかわからない遠い将来まで――帰れない故郷の話を外国人から聞かされなくてはならないなんて、と、話しながらこちらのほうが悲しくなってきてしまいました。

プレゼント

 別れ際にワンドゥンさんは、「私が編みました」と、お土産に、チュグチ(チベッタン・ミサンガ)を1本ずつプレゼントしてくれました。みんな、直接ワンドゥンさんに手首に結んでもらったりして感激。

 突然押しかけたのに、ジュースをふるまってもらい、手製のお土産までもらってしまって、これではどちらがお見舞いに来たのかわからなくなってしまいました。ありがとうございました。

 (社交辞令みたいになってしまうので、ワンドゥンさんに直接そうは言いませんでしたけれど)今回はアクシデントのために残念な結論になりましたが、いつかルンタ・プロジェクトがもっと(資金力や組織力の面で)力をつけて、ワンドゥンさんを日本に招くような企画を立てられたらいいなあと考えています。1日も早く、けがを治して、体調も全快して、以前の笑顔を取り戻してもらえたら、と思っています。


(このページは、2000年10月発行の「裏るんた通信6号」に書いたものを元にしています。)

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