「裏るんたのページ」へお越しくださりありがとうございます。チベットに関心を持っていらっしゃる方も、そうでない方も、なんだかわからないうちに迷い込んでしまったよここはどこ? という方も、どうかごゆっくり楽しんでいっていただけると嬉しいです。
 このサイトは、チベット支援グループ「ルンタ・プロジェクト」(※)のお手伝いをしているうらるんたが、個人として、活動報告やチベットについてのあれこれを記録してる個人サイトです。ときおり、チベットにあまり関係ないものも紛れ込んでいるようです(があまり気にしないでください~)。

※ルンタ・プロジェクトについて「全然知らねー」「それ何?」という方は、ぜひ北インドのダラムサラより発信している「ルンタ・プロジェクト」公式サイトへお越しください。また、このサイト内にも簡単な案内があります。(かなり古いうえに簡単な内容ですが、そのうち更新されるでしょう……たぶん。)


■チベットとダラムサラについての基礎(?)知識■
□「チベット」ってどこですか?

 チベット高原はヒマラヤ山脈の北、「世界の屋根」と呼ばれる地域にあります。一般に「チベット」という時のイメージ、また狭義においては中国のチベット自治区を指しますが、チベット人が住みチベット仏教が信仰される"チベット文化圏"は、中国の青海省や甘粛省の一部、四川省、あるいはインド北部(ラダック、ザンスカール)やシッキム、ネパール山岳地域、ブータンなど広い範囲に広がっています。
 また、中国政府のチベット侵攻以降、1959年の「チベット動乱」から現在に至るまで、中国による支配を嫌うチベット難民の流出は続いており、現在も毎年1000~4000人に上ります。このため、亡命政府(詳細は下記)のあるインド北部のほか、インド南部、欧米(スイスやアメリカなど)にもチベット難民の居住区ができています。
□どうしてダラムサラで活動してるの?

 デリーから北に400kmほど離れた山間部に、山の斜面に沿って切り開かれたダラムサラという町があります。もともとは英領インド時代、夏の避暑地として開発された町ですが、今ではチベット亡命政府の所在地として知られています。ダライ・ラマ14世の住まいと宗教活動が行われる寺院、新たに国境を越えてきたチベット難民を一時的に収容するレフュジーセンターがあります。チベット図書館や寺院内の大学もあり、外国人がチベット語やチベット仏教を学ぶカリキュラムも設置されています。
 ルンタ・プロジェクトは、中国から逃れてきたチベット難民を支援する活動をしています。そのため、亡命チベット政府の所在地であり、新たに難民となった亡命者たちが集まる町でもあるダラムサラに活動の拠点を置いています。
 鉄道は通っていないため、デリーからダラムサラに向かうには、直通の夜行バス(13時間くらい)か、列車とバスを乗り継ぐのが交通手段です。最寄の鉄道駅はパターンコート(ジャンムー・カシミール州)です。
□「ルンタ・プロジェクト」って何?

 「ルンタ・ハウス」の建設と運営の支援、またその活動を通じてチベット問題を広く知ってもらうことを目的にしたプロジェクトです。1998年12月、ダラムサラ在住の日本人有志によって設立されました。うらるんたは大学時代からのチベットつながりの関係で、日本側の協力者としてお手伝いしています。
 詳しくは、ルンタ・プロジェクトの公式サイトをご覧ください。

■“裏ルンタ”とうらるんたについて■

□裏ルンタはなんで"裏"?

 「裏」は「表」の反対側。ウラ方、舞台ウラのウラです。
 チベット難民支援! というテーマから見れば、ダラムサラのスタッフの活動が「公式/オモテの活動」にあたるのに対し、領収書をきったり会報の印刷や発送をしている私は、日本事務局のことを「ルンタの裏方(=裏ルンタ)」と勝手に呼んでおります。日本事務局なんて書くとなんかスゴそうじゃないですか。ちょっと気恥ずかしくてねえ、あはは。
 パンフレット見てお電話くださる方とか、どこかに事務所があって専従職員が働いてると想像してくださってるんじゃないかと思うこともあるんですが、申し訳ない、実態はゼンゼン違いますんで……。
 チベット支援と銘打っても、日本国内にいて「チベット」と触れる機会はほとんどありません。日本にいて、チベットに餓えている人たちの拠り所になれればいいな、しかしそんなヤツが自分以外にそうそういるのか、と自らツッコミを入れつつ、しょうもないイベント企画を立てたり、あちこちの集まりに顔を出したりしております。

□「うらるんた」ってなんのこと?

 日本の事務取りまとめを引き受けた当初(1999年当時)は、他に誰ひとり助っ人のあてもない、個人営業のようなものでした。日本事務局(裏ルンタ)=私(うらるんた)、というわけで、「日本事務局やってます」とアピールしようと「うらるんたです」とハンドルネームを名乗ったまま、いつのまにか今に至っております。
 また、うらるんた個人は会社勤めの社会人でして、オモテの顔も持っております。私個人からいえば、うらるんたの「ウラ」とは「ルンタ・プロジェクト」の方役であると同時に、オモテの仕事で会社の名刺をきる時とはちょっと違う、お金にもならないし肩書き(>そもそもないけど)も通用しないウラ稼業、生活のB面、みたいなものになってるようです。

□これからの「裏ルンタ」

 スタート当初の「裏ルンタ(ルンタ日本事務局)」は、チベットに関心を持ちダラムサラのスタッフたちと友人付き合いのあるうらるんた個人が勝手に(独断的に/好きに)やっているにすぎず、趣味の域を出ていないものでした。フリーマーケットに出店して赤字を出したり(出店料のほうが高いくらいだった)、講演会を開いて講師料と会場代を払ったら赤字になってたりとか、いや~いろいろやらかしましたわ。ブランド好きのお姉さんが買いまくるエルメスとか、鉄道模型マニアにとっての模型と同じように、好きだから楽しんでチベットに関わっているだけのことで、先の例でいえば模型マニアがどれだけ模型にお金をつぎ込んでもそれを惜しいとは思わないように、やっていること自体が楽しかった訳です。
 ということは当然、「裏ルンタ」をひとつの組織として見た場合、組織的、財政的には破綻してたわけですが(偉そうに言うことじゃありませんが)。
 そうした破綻状態は、地味に活動を続けていく中で、手伝ってくださるありがたい方々が周囲に救いの神のごとく現れて徐々に変化があり、2000年~2002年の「裏ルンタ」は数人の仲間たちに助けてもらって進んできました。(その間、うらるんたが1年間の中国留学を敢行、なんて暴挙もありました。どれだけ周囲に助けていただいたことか…)
 過去形で書いているのは、2003年になって状況にやや変化があったためです。うらるんたが会社勤めをしていることは既に書きましたが、それでいつかは来ると思ってた通り転勤を言い渡されまして。2003年5月に現住所へ引っ越してきました。まぁ、再びスタート当初の状態になって、リセットして個人営業状態からやり直し、ということになったわけです。
 もちろん99年から03年までの5年間、世の中は大きく変わってきていて、パソコンや電子メールで現実の距離はとても縮まり、救いの神の皆様には現在もメールのやりとりなどで助けていただいております(感謝)。

 「組織」としての継続性などを考えた場合には、ひとりが抱え込んで趣味でやっている形ではなく、スタッフを抱えて仕事を割り振り、どれだけのお金をいつ何に対して使ったかを明らかにしながら、仮に私が抜けても活動はそのまま継続されるようなものが求められていくのでしょう。

 そういうわけで、私は「うらるんた」としては、ダラムサラのスタッフとの友人関係を基点に非常に楽しくやっておりますが、「裏ルンタ」がこれでいいと思っているわけでは決してありません。将来的にはまたいずれ転勤がありうる状態で、先の見えない状態で地域的にも孤立し、日常的に助けていただける関係者がいないまま個人営業を続けていくというのも、常に破綻と背中合わせの危険な状態ですし。しかし一方で、ある程度の人員や予算の裏づけがないグループが、無理に組織化だけを図ろうとしても、それは組織のための組織作りのようなところに陥るのではないかと思います。身の丈にあってないんじゃないかな、と。
 ただ、財政的にも組織的にも、ダラムサラの「ルンタ・プロジェクト」本体も含め、完全なボランティアベースで進んできた状態はいつか変わらざるをえない時もあるんだろうな、と思っています。人件費の計上が1円もない(チベット人の雇用を除く)ってのはやはりいびつなのかもしれない、と。
 非営利組織やNGO運営はこれからどこにいくのかを考えながら、「裏ルンタ」の説明に代えさせていただきます。



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