2001年8月


■2001/08/02 (木) シガツェより

生存証明のための(?)書き込み。というか、日本語が打てる! すごい!

現在、中央チベットのシガツェに来ています。
さすがチベット第二の都市(?)、通信速度も速い速い。

旅行中、どこへ行っても雨にたたられ、雨雲といっしょに行動しているような感じでした。することもなく雨に降り込められていると、なんか考えることはどんどん暗くなって……(^^;)。よくないっすねえ。

ま、旅行中のことは、また改めてぼちぼち書き足します(といっても、ごく普通に観光旅行していただけですけど。。)。
(そういえばカンリンポチェ巡礼の記録も、まさにコルラしている2日目くらいでストップしたままでした。こちらも適宜追加します。)

■2001/08/12 (日) 北京オリンピック(1)

 2008年のオリンピック開催地が北京に決定――というのも、既に旧聞になってしまいましたが。

 以下の日記は、7月18日に書いたものです。ちょっと日記に出すのをためらってましたけど、まぁ私見だし、ここまで過去のことになったらもういいかな、せっかく書いたんだし、ということで挙げてみます。ちょっと長いけど。

――――――――――――――
 ニューヨークに本部を置く在米チベット人と支援者の団体、米国チベット委員会は13日、北京が08年五輪の開催地に決まったことに対し、「非良心的な投票結果だ」と遺憾の意を表明した。

 
 非良心的、ねえ? いいんじゃないの、北京オリンピック。
 今回ばかりは、チベット支援組織もマヌケな声明出してるよなあ、とちょっと思った。(亡命政府は出したんだっけ)

 チベット問題を理由に、世界的に、五輪北京開催に反対する署名活動が展開されていたことも知ってるし、別にその人たちを揶揄するつもりは毛頭ないですが、「人権状況が改善されていないから中国での五輪開催は反対」って、……なんかすごく意味不明な論旨だと思いません? いつからオリンピックは人権大会になったんすか? 

 まーねぇ、私の記憶に残るオリンピックといえば、なんだか知らんけど「わが国は忸怩たる思いで参加を見送った」とか「参加してれば金メダルは間違いなかったのに」などと大騒ぎしていたおぼろな記憶と、数年後、今度は逆に「ソ連や東側諸国が参加しないのはけしからん」「スポーツに政治を持ち込むな」なんて大騒ぎしていたおぼろな記憶。
 あれはねぇ〜。小学生の子どもだって、「4年前は自分が同じことしたくせに、やり返されたら相手を批判するなんて『棚上げ』もいいところじゃん、みっともない」と思うよねぇ。少なくとも私は思ったもん。
 最初の記憶がそんなだから、オリンピックが平和の祭典だ、人類の和を象徴するスポーツの祭典だ、なぁんてはなっからこれっぽっちも思ってません。あんなの、国同士の政治とショービジネスの道具。ほんとに「国境を越えたスポーツの祭典」なんだったら、参加するもしないも、選手が自分で決めたらいいじゃんねえ? 開会式は愉しみだけどね。いろんな国の民族衣装が見られて。

 とまあ、オリンピックの趣旨そのものへの疑念はそれとして。

 「オリンピックは国境や民族を超えたスポーツと平和の祭典であり素晴らしいもの→であるから品行方正な政治体制のもとで行われるべき→チベットを抱える中国ではふさわしくない」という三段論法は、それ自体、国境や民族(すなわち「政治」)を超えるはずのスポーツ大会に政治を持ち込んでいるわけで、どうしたって論旨に矛盾があるように思えてならんのよね。(例えば五輪憲章に『人権侵害を行っている国での開催はできない』とか書いてあるんなら別だけど。そんなものがあるのか、私は知らんけど。)
 で、逆に、「オリンピックはそもそも政治の道具。開催地を決める投票で候補地に恩を売って貸しを作り、その後の関係に役立てたらいい」「オリンピック利権で一儲けさせてくれそうな国で開催されればいい」くらいに現実的に考えているなら、それこそ、「人権状況が改善されるまでは…」なぁんてキレイゴトが入り込んでくる余地はなさそうなもんなんですけど。

 さらに話は脱線するけど、国境を超えて世界に散らばるチベット人たちも、せっかく「亡命政府」を名乗ってるんだから、スポーツ選手団を作って、五輪やその他の世界大会にノミネートするくらい頑張って、存在をアピールすればいいと思うんだよねえ。反対声明ばっかり出してる場合じゃないって。前回の五輪でも、東ティモールの例もあるし、「中国」になったはずの香港だって独自の選手団をオリンピックに出してるんだし(出してたよね?)。
 チベット人、いわば生まれたときから高地トレーニングしてるようなモンなんだし、マラソンなんか強いとい思うけどなあ〜。あとは、ヤクやヤギの群れを追う投石の技術を生かして円盤投げとか、狩猟遊牧民の本領発揮・射撃とか、お家芸・乗馬とか(なかったっけ、乗馬?)。そうだ、冬季五輪になるけど、クロスカントリーなんかめっちゃ強そうだ。スキーなしでがんがん歩きそう(笑)。

 あれって、参加を認めるかどうかは開催国じゃなくIOCなんでしょ?(違うのかな?)北京オリンピックに「チベット」選手団が参加! なんて、注目度めちゃ高、アピールには最高の舞台じゃないっすか。人権状況改善をうたう中国政府だからこそ、公式にエントリーしてきたら断りにくいはず。だって、断ったら、チベット問題がタブーだって自ら認めてるようなもんだもんね?
 そんで、チベット選手団、ちゃんといい成績残して、雪山獅子旗を掲げてグラウンド一周し(私がアボリジニ旗を見たのも前回五輪が初めて。あの旗が全世界に流れただけでもあの五輪は価値があったと思うよ。もし雪山獅子旗が制止されて引きずり降ろされたりしたら、それこそまたひとつのトピックになるしね)、ヒーローインタビューで言うわけですよ。「ふるさとに帰りたい。プェイーナンネ・ランゥォン・ヨーアレ!」。自分をほめたい、とか、楽しい42キロでした、なんて名言、メじゃないっす。泣きますよ、私。

 閑話休題。

 とりあえずまぁ、そういう冗談半分の話は別にしても、ひとりのチベット好き、中国好きとしても、北京でのオリンピック開催、意味のあることと思ってます。

 人権侵害にお墨付き? は、ばかばかしい。

 これからの7年間、中国は、常に“今度オリンピックを開催する”という枕詞つきで語られることになるわけです。これまでより、いろんな方面で注目を浴びていくことは間違いないでしょう。

 スポーツ選手の交流もあれば、経済的にも、五輪で儲けようと思ったら、中国は今まで以上に外国企業や外国資本を受け入れていかざるをえないと思います。いろんな企業が入り込んでくれば、中国の市場だって合弁元の企業だって、それ相応の国際常識を持たざるを得ない。いまやっているような、「資本投下させて、工場作らせて、ジャマになったら追い出せばいい」とか、「設計図なんかの横流しはあたりまえ、トヨタが進出するとトヨタそっくりの中国車やトヨタデザインうり二つのパーツをくっつけた車がいつのまにか町にあふれる」っつー状況は、まぁどうにかしてもらわんといけません。
 メディア報道のことだけを考えても、シドニー五輪開催が決まった後、日本のマスコミがあわてふためいてオーストラリアに支局を開設したり記者を増やしたりしたように、これまで中国と縁遠かった国のジャーナリストがぼろぼろと入り込んでくることは間違いないでしょうし、日本のマスコミだって、地方紙やブロック紙が支局開設を申請したり、既に支局がある会社も駐在員の数を増やしたりするはずです。
 今まで中国は、中国政府に都合のいいことを書いてくれるマスコミだけをえり好みしたり、駐在員の人数に制限をかけて、いろんな人が入り込まないよう、自由な取材ができないようにコントロールしてきたわけですけど、これからはそうはいきまっせん。
 自ら望んで世界最大の国際運動会を招致して、どうぞ我が国に来てください、とぶちあげたわけですからね。メディアの取材を拒否したら、「拒否した」ってことがニュースになっちゃう立場におかれるわけです。

 で、今後、雪崩のように入ってくるであろう取材陣は、これまでのように中国政府の立つ場所に気を遣ってくれる政治ジャーナリストではなく、なんでもありのスポーツ・ジャーナリズム。しがらみも何もなく、見たまま感じたままを報道するはず(そう思いたい)。そうでなくても、取材活動をする人の数が増えるということは、単純に考えて、いろんな人がいろんな観点から中国を報道する、ってことで。
 それは、中国の密室性に風穴を開けることにつながると思ってます。

 チベットについてもしかり。
 いまは雪のカーテン(?)に覆われて、何がどうなっているのか外に伝わらないチベット(まぁそれが中国政府の政策なんだろうけど)。個人的には、チベット問題をこじらせているのは、ここが情報鎖国みたいになっているのがひとつの原因だと思ってます。
 「ひどい人権侵害が続いている」という主張、「チベットは発展している。人権状況は改善されている」という主張、それぞれの言い分は聞こえてくるけど、それを客観的立場から検証できる人が誰もいない(入れない、取材できない、発表できない)。

 内側も実際、そうだけどね。チベット人自身がチベットを知らない(知らされていない)。「青蔵鉄道の建設が始まった」ということは皆知っているけど、ラサ駅がどこにできるのかを知っているチベット人に会ったことがない。この50年間に、知らされないことは知らないままでいるのが安全だ、という処世術が身に付いちゃったんだろうねえぇ。その一方で、口コミがものすごく発達していて、噂が風のように広まっていく。その中にはデマや風聞や妄想にすぎないものも多いにもかかわらず、100分の1くらいは真実である、そのために、だれもかれもが、新聞に書かれたことよりも、知り合いの口から聞いたことを信じる。

 いまの中国に欠けているのは、「見られている(から恥ずかしい振る舞いはできない)」「注目されている(に足る行動をしなければならない)」という自意識かも、と思うことがあります。批判する人がいないから何をやっても平気、マズイことは権力を総動員して隠しちゃえ、ってところがあるんじゃないかと。

 これから7年あるわけですよ。

 7年間注目を浴びつづける、ってのは、「チベット問題にお墨付きが与えられる」どころじゃなく、逆でしょう? チベット問題は中国の民族問題、ひいては政治問題の焦点。中国が語られる以上、常につきまとうことになるわけで、すなわち、中国が注目を浴びれば、チベットも注目を浴びるわけです。これを利用せずしてどうする、っていう気がするんだけどねええ。

 そういうわけで、私はひじょーに、北京五輪(をめぐるこれから)を楽しみにしているのでした。
 私だけじゃないと思うけどな、こういう考えの人も。
 どうだろ?

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