うらるんた製作日記2003年2月

2003.02.02 「チベットの女 イシの生涯」

 「うらるんた」イベントとして、メールと掲示板で参加者を募り、勢いで無関係な職場の同僚も誘ったりしながら、総勢11人で見てきました。(ウェブで告知できないまま……すいません)

 もうひたすらきれいなラサ語に感激(>内容はわからないけど「これはチベット語だ」というのは分かる ^^;)。舞台俳優さんたちが多く演じていて、台詞回しがやや大仰で舞台っぽかったのも、わかりやすかった一因でしょう。DVDかビデオが出たら買うぞ(>チベ語学習用に)。
 かなりレアなチベット語映画のなかでも、「ザ・カップ」はダラムサラ方言まじり、「キャラバン」もダラムサラ方言を中心としたドルポ語でしたので(「セブン・イヤーズ」や「クンドゥン」は英語、「紅河谷」は北京語でそもそも範疇外)、ラサ語フェチの方には非常に貴重な教材になるなあと思ったり。
 ストーリーはこの際置いておくとして(おいおい)、あふれんばかりのチベットの風景とチベット語に涙がでそうでした。
 一緒に行った人たちの中には「あのシーンの寺、行ったことあります」とロケ地を言い当てる人までいて(濃!!!)楽しかったです。

 唐突に思わせぶりに登場しておきながら、セリフもなければ説明も言及もまったくなく、知らない人にはなにがなにやらわからないであろう「例のあのお方」一時滞在シーン(ちょっとだけご本人に似てた^^)、ただ町中に紙がぺたぺた張ってあるだけで、これも知らない人には何がなにやら分からないであろう「文革ほのめかし描写」など、内心にやりとするところもある映画でした。
 政治的理由による描写の欠落部分については脳内補完を要求されている……というワケで、見る側の知識と想像力に挑戦されているかのような(^^)

 余談だけど、年末に京都で開いた「超初心者向けチベット語講座」で、1回目に解説していただいた6世ギャワ・リンポチェの詩「東方の山の頂」が何度も歌われていました。あのときの、チベット人僧侶たちにとっての詩の解釈――単に恋愛の表層的な部分だけをうたったものではない、というとらえ方――を思い起こすと、また映画を違った意味で味わえたと思います。
 そのあたりは、漢人監督のイメージするチベット的世界と、チベット人たちが受け止める世界観とのズレになってくるかもしれません。日本人である私には想像することしかできませんが。
 (あの詩と密接に関係しているパルコルの一角のカフェ「マキアミ」も映画のワンシーンに使われているんですが、詩とのかかわりへの言及がなく、知らない人には見ていてもわからないだろうし、不親切だなあと思っちゃいましたね)
 それから、チベット語歌詞を書いてもらって皆で練習した「向こうの山の草原のツェリンさん(在那草地上)」も、パルコルのシーンで流れてました(中国語歌詞バージョンでしたが)。極めつけは、老夫婦たちが乾杯するシーンで「ここにあつまりましょう(我門在這歓聚)」。
おおお、まるで映画の予習をしたみたいだ(あるいは、この映画で講座の復習をしているみたいだ)と思いながら嬉しくなって見ていました。
 ご一緒していただいた方々に多謝。

2003.02.03 「チベットの女」雑感続き(ネタバレ? 注意)

 (「チベットの女」感想の続き。)
 パンフで渡辺一枝さんが書いているとおり「チベットを借景にして描いた愛の物語」だったと思います。さすが、チベット人が演じているな、と思わされる細かい描写――目上の人に対するしぐさやお茶の勧め方、人を呼びかける時の合図、その他、チベットらしさがふんだんに出ていて、ほんとによかったです。漢人の登場人物がいなかったのも良かったかな。本来、チベット近現代の50年を考えるときに、漢人が出てこない、というのは非現実的ではあるんですが、逆にいまの中国で製作する映画のうえでは、どんな役柄を与えてもウソっぽくなる可能性は否めません…。
 (小説だから比較にならないけど、そういう「嘘っぽくない」人物として「頭蓋骨のマントラ」の主人公はよくできてると思う)
 前半の、「これぞカムの男」というかっこよさにはも〜クラクラしました。やっぱり男はカムです(無意味に断言)。
 しかし登場人物のだれかれ問わず、歳とってからが性格変わっちゃっていて、前出の康巴漢子にしてからが、なよなよメソメソして女に頼ってるあたり、俳優が似てないせいもあってとても同一人物とは思えずとまどいました。ほとんど全員別人格化。あれじゃ漢族と変わんない (←きっと「解放」と文革でものすごく苦労して、思想改造されちゃったんだろうなあ^^; >ということにしておこう。そうだよな、ほんとタイヘンだったもんな〜しみじみ)
 あとひとつ思ったこと。出家僧に言い寄る(そーゆう対象として見る)、というのは仏教倫理からすると最も罪深い行為です。実際には還俗して結婚する僧侶はたくさんいますけれど、チベット世界では今でも、決してほめられたこととは思われていません。
 描写するならするで腰をすえて、ヒロイン側に「タブーを分かっていても、それまでの修行をすべて無にし輪廻の地獄に引きずり落とす行為だと分かっていても、それでも好きになってしまう人間の弱さ」との葛藤が描かれてほしかったんですが。そういう重い部分、チベットならではの世界観がまったく欠落した状態で描写されても、単に「目の前の男にコナかけてみたけどフラれた」だけにしか見えない。それでは、フッたうえ山奥で見捨てる男が単なるヒトデナシじゃ(^^;)。
 原作のなかにはそもそも僧侶は登場しない人物で、映画化にあたっての創出です。で、それについて監督が「貴族、商人、僧侶というチベット旧来の社会階層を代表する男性を出した」と答えているインタビューを読んで、なんともガッカリでした。それじゃ、チベット行って「坊さん萌え〜」「二の腕がセクシー」とか言ってる観光客と変わんないって。

2003.02.05 雑用など

 インドに向かう知人が、ダラムサラにも寄るというので、持っていってもらいたいものを宅配便で発送。宅配の営業所にいくつもりが時間がとれず、まる1日持ち歩いたあげくにコンビニ発送。「本日の集荷は終わったので、発送は明日になります」と言われてガーン。ごめんなさい。

 ロサルパーティ(※)準備は難航。ウィングス京都、草津コミュニティ支援センター、いずれも使用不可(先客あり)。
 
(※)ロサル=チベット正月。(ロ=年、サル=新しい。チベ語は形容詞が後ろにつきます。ルは無発音で口の形を丸めるだけなので、「ロサ」「ロサール」など表記はいろいろありますが同じことです)今年は3月3日(月)。太陰暦を基にしていますが、チベット占星術に基づき「閏月」をはさんだりするので、中国や韓国の旧暦(農歴)とは一致しません。
 で、せっかく年に一度のお祝いなので、にぎやかにやれればなーと思った次第。一応、「チベットのお正月を体験してチベット文化を皆で学びましょう」、というコンセプトですが、
  ・チュパ あるいは自分が「これはチベット風だ」と信じる服装必須
  ・クジ付きモモを作って食べたい 
  ・歌も歌いたい
  ・ツァンパも投げたい
(もうめちゃめちゃですな)
わはは。 

2003.02.09 「シルクロード」再放送

 最近、NHKで「シルクロード」の再放送をしているので、つい見てしまいます。こころもちゆったりとしたナレーションにも時代を感じたり、どこか(西安?)の遺跡のシーンだったか、「いまから20年前の1965年に発見された」などというナレーションを聞くと、はあああっと平伏したくなったり(笑)。

 大学生のころの海外旅行、カンボジアやインドで、「20年前、ここでたくさんの人が虐殺されました」「30年前に侵略されました」と言われても、「ふうんそうか現場はやっぱり生々しいなあ」「30年もよく頑張って抵抗してるなあ」くらいの感覚しか持てなかった。そりゃ私なりに真剣ではあったけど、「800年前はここが国境でした」「1億年前はここが海でした」なんて説明と同列に受け止めてたんじゃないか。だって「記憶もないころの話」「生まれる前のこと」なんだから。
 今、自分には20年前の記憶がある。30年という時間の流れが体感として分かる。そのころ自分がどうしていたか、何を考えていたか、それから流れた年月を身体の中で指折り数えることができる。14歳の自分は、私にとって、けっして「昔」じゃない。触れれば血を流す思い出もある。それは、連続する時間の中に存在したまぎれもない自分だ。年を重ねるというのは時間の速度と重みを理解することかもしれない。
 
 ……なんてのはつまり、『シルクロード』のナレーション聞いて「20年前? つい最近じゃん!」と感じた、っつーだけの話なんすが(わはは)、最近、外国籍者の障害年金のこととか戦後補償のこととかちょっと考えていたので、「いつまで昔のことを言ってるの」「もう50年もたったんだから」などという時間をタテにする反応はやはりあまりにも暴力的にすぎる、と改めて感じたことでした。

 『シルクロード』に話を戻すと、改めて見ると(とはいえ本放送時の記憶はないですが)、人民公社がまだ存在したころの新中国礼賛番組だったんだなあ、としみじみ(『ウイグル族はほんとうに歌や踊りが大好きです』『人民公社ができてブドウの生産が上がり、とても豊かになりました』だってさ)。ただ、ウイグル人がマイクを向けられて話している言葉がウイグル語だった(漢語ではなかった)あたり、へえっちゃんと現地語できるスタッフで作っているんだ、と思いました。
 なんぼ紀行モノとはいえ(今のNHKなら『地球に乾杯』とか『にんげんドキュメント』みたいな番組枠になるのかなあ)、こんなふうに無批判に中国政府の政策をホメまくって番組をつくることは、現在はないんじゃないかなあ。「ない」のか「できない」のか「やらなくてもよくなった」のかは分かりませんが……。
 この番組で中国西域のイメージが固定化されたと思うとなかなか罪作りな番組ではあるかもね。ところで、番組で紹介されてた「交河故城」、いったん世界遺産に指定されたけど観光開発を進めすぎて世界遺産登録から外された、って週刊誌のコラムで言及されてたけど、ほんと?

2003.02.11 「漢字と日本人」

 最近読んだ本:「漢字と日本人」(高島俊男、文春新書)
 なにか読みながら興奮してしまうくらい、ものすごく面白かった。日本語・漢語・英語で例を挙げながら、言語と言語の関係、言語と文字の関係、日本語と漢語の関係、その他もろもろ。じゃあ漢語―ハングルは、とか、漢語―モンゴル語は、などとよくわからんままに考えたり。
 私が漢語を学んでいて、日本語を教えている友人たちがいて、日本語を学んでいる生徒たちと友達だったからツボにはまったのかな? これ、逆に、日本語を学んでいる中国の生徒たちに読んでもらったらどう感想が上がるかしら。

2003.02.15 パソコンの愚痴

 ルンタとは関係ない話ですいません。
 世にパソコンへの恨みつらみは尽きまじ、という気はしますが、今すごくムッときていて、しかし誰にもぶつけられないのでここに書いてしまおう。だって誰も聞いてくれないんだもん。すいません。
 1週間ほど前、突然、バイオ(WinXP)がスキャナのUSBを認識しなくなりました。「不明なデバイス」って……どういうことよ?
 心当たりといえば、その前日に、「重要な更新のお知らせ」とか「WinXPにセキュリティの欠陥」とかいうのを見て、そうか欠陥があるのかと「WindowsUpdate」なんてのをやり、わざわざ「サービスパック」をインストールしたこと。ナローバンドだから大変だったよ……途中で電話はぶちぶち切れるし、2回もフリーズしてやり直したし。やっと終わって、「これでウイルスも安心ね」と思っていたというのに、どうしてこんな目に?

 それでも最初はWindowsを過信して、「昨日まで使えていたんだから何かの間違いだ、再起動すれば直るでしょ」くらいの気持ちしかなかったのですよ。

◇1日目
 挿しなおし→だめ。
 再起動→だめ。
 「デバイスマネージャ」→「デバイスの更新」でインストール元をいろいろいじくってみてもダメ。自己流ではやはりダメか、とスキャナの説明書を出してきて、「困ったときにお読みください」と首っ引き。なかには、WinMeなどで使っていて、XPにアップグレードした際に認識できなくなる症状はあるらしい。その時は一度ドライバを削除して再インストール……とやろうとして、「これってスキャナ本体の認識について書いてあるんじゃん」と気付いてマニュアルを放り投げる。だって、USBって「ドライバいらず 抜き差しOK」なところがウリなわけで、USBがつながらない事態は想定されてなかった。どうなってるんだ?

◇2日目
 職場の同僚に「私ならすぐサポートに電話して聞きますよ」と言われて、電話作戦。しかしOSの不具合だからなあ…どこに聞けばいいんだろう。とりあえずソニーに電話すると「入れたものを削除して症状が出るかどうか確認してください」。
 入れたものを削除……? あんだけ電話代使って入れた「サービスパック」を? (>貧乏性)
 しかも、インストールするときに自分、「アンインストールのためのなんとかを作成しますか。なんとかを作成するとハードディスクを多量に占有します」とか表示されたので、「どうせOSをアンインストールはしないだろう」と、「しない」を選択してしまったのですよ。アンインストールできなかったらどうなるんだろう…。

◇3日目
 「ヘルプとサポート」を検索すると、「WindowsXPがUSB2.0ドライバを公開」という項目(http://support.microsoft.com/default.aspx?scid=kb;ja;312370)がひっかかる。そうそう、これが要るんだよ。
 (認識しなくなったスキャナのUSBは「USB2.0」で、それまでは「高速USBデバイスが高速ではないUSBハブに接続されています」というメッセージが出るけど普通に使えてたのでした)
 ところがどこを探してもこのドライバをダウンロードする場所にたどりつかない。いろいろ検索したりリンクをたどると、「このトラブルはサービスパック01で解消されています」という表記が。ドライバが欲しけりゃサービスパックを入れろ、と? それを入れたからこんな目に遭っているというのに!

(なんか疲れてきた。その後もいろいろ試して最終的に「システムの復元」でサービスパックを削除したけどUSBは認識されない状態。気力が戻ったら続きを書きます、、、)

パソコンの愚痴その後
 全部経緯を書いている余裕がないので結論だけ。
 ソニーの電話サポートにもっかいアドバイス受けてパッチ(?)をあてて直りました。USB2.0としては認識されず、「高速USBデバイスが高速でない……」というメッセージは相変わらずですが、この際認識できてればもうイイです(諦念)。
 メールで対策教えてくださった親切な方、ほんっとーにありがとうございました! 上記の悪戦苦闘のうち、少なくとも「◇3日目」のドライバのダウンロード場所が見つからなかった原因は私のPCの設定のほうにあったということが分かりました。m(_ _)m

2003.02.22 結婚パーティ

▲チーパオ数人、バリスタイル新郎新婦、チュパ2人、サリー数人、アオザイ1人、クルタ&パジャマ1人、ルンギ1人、パンジャビ1人………情報誌「旅行人」関係&読者会の人たちを中心に。顔わからないよう画質落としてますがすいません。

 旅好き仲間の結婚記念パーティに出席。
 「フランクな会にしたいので」とのことで、いわゆる「二次会」的なものを廃したイベント。多芸な人たちの集まりらしく、舞踏の披露あり、ベリーダンスあり、ノコギリ演奏あり……で楽しみました。しかし、いくらフランクにといっても、友人のおめでとうコメントはおろか、新郎新婦の紹介までナシですかい!(^^; 最後にプロフィルのみありました) 満を期して結婚されたCさんのお連れあいはどんな方!? と妄想たくましくしていた私たち、肩透かし。新婦さん側のお友達にもいろいろと面白そうな方々がたくさんいらしていたのに、話をする糸口もつかめませんでした。残念。まあ、そのあたりのアバウトさがなんとも「らしく」て、個別に伝言ゲーム式に「なれそめは○○だったらしい」などと伝わってきたりして、それも良かったです。はっはっは。
 場所は大阪・心斎橋のウズベキスタン料理「シルクロード」。ゴージャスな内装に女性陣「どんな服を着ていてもこれなら浮かない!」。(評価してるポイントが違う気がするが)
 というわけで集まった人たちは右の写真の通り。

 料理もなかなかよかったです。
 私の西域はカシュガル止まりなので、ウズベキスタンといっても想像するしかないエリアなわけですが、ポロ(ピラフの起源。炊き込みご飯の上に羊肉どーん)があったし。「マンティ」(肉と野菜のパイ皮包み)なんてのはピロシキかマントウかという感じで。で、案の定、ウズベキスタン旅行経験のある人たちも何人もいて「自分がウズベキスタンに行ったときは」話が(笑)。すばらしい。

2003.02.23 チベットin「探検の殿堂」

▲思わず反応してしまった絵。じっくり見ると屋根がとんがってたりして微妙に「違うだろ」ってトコもあるんですが、それでも反応してしまう情けない私 ^^; ▲チベット潜行8年

 仕事で湖東町の「西堀栄三郎記念・探検の殿堂」へ。氷点下25℃の南極体験がウリで、近現代の日本人探検家の(なぜか)日本画を飾り業績を顕彰するというナゾの施設。
 探検家の西堀栄三郎(1903〜89)のお父さんお母さんが町の出身、というこじつけ(失礼)のような記念館。で、生誕100年を機に選ばれた50人目の「殿堂入り探検家」に梅棹忠夫・民族博物館顧問が選ばれた、という次第。
 他の「殿堂入り」49人を選んでいる「選定委員会」の委員長が梅棹氏なのでお手盛り感はあるけど、まぁそれはそれとして、高校生のころ一生懸命『文明の生態史観』やら『知的生産技術』やら『21世紀の人類像』やら読んだよなあ、あこがれたなあ……と、初めて見るナマ梅棹氏にしみじみ。高校生の時分だったらサインと握手のひとつでもねだっていたかもなあ、我ながら遠くに来ちゃったなあ……と、なんか感慨にふけったりして。(ふけるなよ)

 で、それはそれとして。記念館そのものにはまったく期待していなかった私ですが、展示スペースに入ったとたんなつかしい親しみ深い風景を見たような気持ちに。なんだ? ……あっ、あれはチベットでは!?
 そう、そこには西川一三氏の肖像画があったのでした!! (西川氏こそナマの姿を見てみたいものですぅ〜)
 おおお、と講演会そっちのけで部屋をぐるぐるすると、書生っぽい青木文教! モンゴル服姿の木村肥佐生! カイラスを背景にした絵まで!
 
 知らなかったよ「探検の殿堂」にチベ系展示があるとは。カイラスの日本画があるってーだけでポイント上がっちゃうあたり、私も単純だなーと思うんだけどね、はい、すいません。



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